このたびBambinart Galleryでは、謝花翔陽(じゃはな・しょうよう)個展「女、彫刻家、音楽、5、好運と蕩尽」を開催いたします。1987年、沖縄県に生まれた謝花は、2011年に東京藝術大学彫刻科を卒業、2013年に東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻を修了、それぞれ卒業時にアートアワードトーキョー丸の内に選出され、2011年は小山登美夫賞、2013年にはグランプリを受賞しました。
昨年12月に開催した前回個展「アメジスト / 月に向かって吠え立てる犬 / そして僕は橋を焼く」から1年。挫折と喪失から作家の新たなものたちとの邂逅を、一人の女性をモチーフとして彫刻、音楽、そして「5」という創造を司る神秘的な数字についての考察を通して具現化を試みた展覧会です。
「僕は、僕の作品には、著しく自己批判が足りないのかもしれない。足りないのだろう。極私的、近視眼的、物語というにも程遠く、ただの痴話喧嘩の愛憎、僕の作品はそういったものだ。僕はそれを煮詰め、パンプアップし、普遍性へとリフトアップしようと試みてきた。それ以外に、自分の興味、すべき仕事が思いつかなかった。そして僕は前回の個展で、『橋を焼く』ことにした。単純に、モチーフが喪失したからだ。
しかしながら人は、いくらモチーフが無くなったといはいえ、死ぬことはない。僕は生き続け、残された関係性の中で生活を続ける。そこに新たな邂逅と、そこでの関係性が発生する。ぼくはまだ、生まれたばかりのその関係性を、普遍性へとリフトアップするための言語を知らない。宙ぶらりんである。
今回は、その宙ぶらりんの状態をこそ、作品化してみるべきではないかと考えた。再考し、物体として顕現させることで、その宙ぶらりんの状態は何かの意味をもって存在の確証を得るのではないか。まだ固まり切らない、関係性についての途中考察。観察。見切り発進の制作。そして引き続き持っていた関係性(それは、良いものもあれば悪いものもある)についての、不得手な自己批判を伴った再考。
野生のヌーの出産をみたことがあるだろうか。生まれたばかりの子牛は、自らとその母の体液にまみれ、また、ぬかるんでいる地面を這いずりながら自立を試みる。そして立ち上がり、母の後をついて大人になる。しかし、中には様々な理由で、それは生まれながらの体躯の問題か、運悪く捕食の対象になってしまったのか、そのまま立てずに死ぬものもいる。
本展示は、そのような作家の不安定さと新しい生活及び関係性=生命についての考察でもある。
謝花翔陽」
今回、そんな宙ぶらりんのなかで、原点に立ち返る必要があると感じた謝花。自身の美術体験の原点である『彫刻』というものを拝借することで考察しようと考えました。『彫刻=人体の模倣』、『5=創造性の象徴的数字、あるいは人体の暗喩』と考え、人体彫刻作品を中心に、過去から現在までの謝花を取り巻く関係性に由来する小彫刻、制作副産物、生活副産物、パフォーマンス、そしてその映像、『空間を埋める』為の音楽を空間内に配置し、再度、呪術というフィルターを通して展示を構成しようと試みます。
どうぞご高覧ください。